妻の闘病記 休みは一緒に過ごそう 2021年4月抗がん剤治療による発熱が立て続く。そのため4月も入退院の日々が続く。3月に下旬に開幕したプロ野球を妻も観始めていた。東京ヤクルトスワローズファンである私が今年も騒ぎ始める。プロ野球ファンを近くに持つ人の春の風物詩だろう。202... 2022.11.12 妻の闘病記
妻の闘病記 妻が亡くなって丸一年が経った。 2021年9月26日に妻は息を引き取った。あれからちょうど一年の月日が流れた。そう、今日は妻の命日だ。闘病記を書いている最中ではあるが、先週末の記録を残しておきたい。記事間における時系列のズレより、その時の思いを優先しようと判断した。202... 2022.09.26 妻の闘病記
妻の闘病記 次の楽しみを拵えて 2021年3月2月からの延長された日々を過ごしていた。自宅療養を主軸とし、両親の送迎で通院をする。都度、必要があれば入院をする。私は普段通り自宅で仕事をし、妻は出来る範囲の家事をする。たまにお互いの友達とそれぞれ電話をして外との接点を保つ。... 2022.09.04 妻の闘病記
妻の闘病記 検体検査結果 2021年2月前回の闘病記事で大事なことが書き切れていなかったので、遡って記す。子宮摘出手術のその後子宮摘出手術を受けた。詳細は以下の記事にまとめているので、その続きを。(記事をアップしてから時間が経ってしまっているのでリンク貼ります。)妻... 2022.07.18 妻の闘病記
妻の闘病記 制限下でのコミュニケーション 2021年2月中旬大手術が終わっても、闘病の日々は続く。大手術を乗り越えたからこそ、闘病の日々は続けられたとも言える。今までとは異なる原因で入院と退院を繰り返した。次に妻を襲ったのは排尿時の激痛だった。子宮摘出手術の際に、がんが転移していた... 2022.06.19 妻の闘病記
妻の闘病記 娯楽はあまり多くない 2021年1月末手術を終えて少し経って妻からの返信がきた。無事ICUから通常病棟にある病室へ移動が出来たようだ。手術で開いたお腹が痛くて着替えられないから、着替えはあまり必要ない。週末に帽子と肌着を持ってきてくれれば大丈夫。そう伝えてくれた... 2022.05.21 妻の闘病記
妻の闘病記 指でなぞり、次につなげる 2021年1月後半夫婦の絆を改めて深めながら日々を過ごしている中で、手術の日取りが決まった。パジャマのほつれやボタンの結び目を指でなぞるように。爪と甘皮の境目を探るように。言葉数は多くなかったが、大事な時間を過ごせたと思う。手術日が決まった... 2022.05.04 妻の闘病記
妻の闘病記 涙に濡れた寝室で 2021年1月中旬産婦人科の医師から伝えられた言葉を、消化して自分の言葉で伝えてくれた妻。それをそのまま重く受け止め帯を締め直した私。こんな状況でも相変わらず夫婦をやっていた。夫婦をやれていた。その日は珍しく寝室で二人で疲れ切るまで泣いた。... 2022.04.21 妻の闘病記
妻の闘病記 2021年の始まりと共に 2021年1月前半何事もなかったかのように二人で年を越した。二人で年を越すことができた。この"こと"だけ見てもたくさんの努力が実った結果が出たと言える。自宅で年を越したいという妻の気持ち。それに応えようと尽力してくれた病院の方々。年末にも寄... 2022.04.14 妻の闘病記
妻の闘病記 救い救われ生きている 2020年12月後半2020年が終わろうとしても治療は継続された。呼吸器外科から産婦人科への交渉の無事を祈りつつ、妻の調子がいいときに食べたいものを食べられるように。入院中はビデオ通話で顔が見られるように。入院中、私のことを心配しないように... 2022.04.05 妻の闘病記
妻の闘病記 師走の共有事項 2020年12月前半不安な気持ちのままこの荒れ狂った年の師走を迎えた。その不安の元凶はやはり大元となるがんがどこにあるか分からない状態であることだった。呼吸器科にかかり4ヶ月が経過する頃、医師に招かれ作戦会議が開かれた。仕事を切り上げ、深呼... 2022.03.20 妻の闘病記
妻の闘病記 不自由な食事 2020年11月最高の誕生日を過ごした妻は、そのあとすぐに体調を崩した。誕生日に気張らせ過ぎてしまったせいかと妻の親友と共に責任を感じていたが、医師曰く症状的に抗がん剤の副作用によるものだった。抗がん剤の副作用は、妻の場合は主に消化器へのダ... 2022.03.03 妻の闘病記
妻の闘病記 誕生日おめでとう 2020年10月妻にはとりわけ仲の良い親友がいる。中学時代からの付き合いで、ギターのレッスンやコンサート以外の用事を伝えられるときは大方その親友の名前を聞くことが多かった。妻から直接病気の報告を最初にした先はその親友だった。入院当初は腕を動... 2022.02.05 妻の闘病記
妻の闘病記 後悔を舌で転がす 妻は抗がん剤投与のための入院と抗がん剤により体調を崩しての入院を繰り返した。退院した時のホッとした表情を見る度に、命の危険に晒された張本人を目の前にしているということを再認識していた。私にしかできないことがある。それはいつしか私の生きがいに... 2022.01.23 妻の闘病記
妻の闘病記 部屋のピース 2020年9月24日後半妻が退院して家に帰ってきた。どれほど待ち侘びたことか。一人暮らし生活にも慣れ、スーパーでの買い物時にオーバーに購入してしまうことも無くなってきた頃だった。辛いリハビリを乗り越え、遂に妻が帰ってきた。なんとも言えないぽ... 2022.01.15 妻の闘病記
妻の闘病記 リハビリの先で 2020年9月下旬厳しいリハビリの先で退院の目処が立った。最初は正直、暗い道のりの中に少しばかりの優しさを添えるためだけの提案だと思っていたし、実際に退院まで漕ぎ着けられるとは思っていなかった。それくらい当初の余命一週間という宣告には重みが... 2021.12.30 妻の闘病記
妻の闘病記 三途のオーダー 2020年8月中旬それからの日々も毎日状況が変わっていった。抗がん剤治療が開始されたため、日々病状に変化があった。緊急入院当初は酸素吸入器がつけられ、抗がん剤治療が始まるまでの日々でその吸入量が増やされていっているような状態だった。自力での... 2021.12.21 妻の闘病記
妻の闘病記 ルーティン構築 2020年8月5日〜午前中からお昼過ぎまで仕事をして、病院へ荷物を届けて妻と面会し、ご飯を食べて残りの仕事を片付け、友達や家族と電話する。ここからの日々はただひたすらそれを繰り返した。闘病する妻を支える生活でのルーティン構築が早々に出来たこ... 2021.12.12 妻の闘病記
妻の闘病記 人を頼る 2020年8月4日後半目が覚めてもまだ外は明るかった。落ち着きなく佇む吸殻を見てさっき聞いた話が夢ではなかったことを知らされる。後回しにならないうちに会社のチャットで上司へ連絡を入れた。「こっちは気にすんな、今はとにかく奥さんの側にいてあげ... 2021.12.08 妻の闘病記
妻の闘病記 はじめの宣告 2020年8月4日前半その日もよく晴れていた。前日の夕方頃、医師から電話があった。直接話がしたいので妻の両親と私とで病院に来てほしいと。入院から数日は夕方頃に向かって洗濯物を交換し、手短に医師と話す日々だったが今回は夕方より前に来てほしいと... 2021.12.08 妻の闘病記