
2020年8月4日後半
目が覚めてもまだ外は明るかった。
落ち着きなく佇む吸殻を見てさっき聞いた話が夢ではなかったことを知らされる。
後回しにならないうちに会社のチャットで上司へ連絡を入れた。
「こっちは気にすんな、今はとにかく奥さんの側にいてあげな。仕事を休めとは言わないから気晴らしになるなら好きなタイミングでやって。」という旨の返信があった。
この上司を信じてこの会社に転職を決めてよかったと、胸が溢れそうになりながらそのメッセージを噛み締めた。
急に孤独を感じて母に連絡する。
すぐに電話ができるという返事に甘えた。
一部始終を伝え終わるまでにぐしゃぐしゃになってしまった。
母は一緒になって泣いてくれた。
いつでも電話しておいでと言ってくれた。
状況が変わったらすぐに連絡する約束をして、そのあとはひたすら泣き叫んでいた。
「電話を切るのは涙が枯れてからでいい。」その言葉に甘えた。
ひとしきり泣いてすっきりしてまた疲れて電話を切った。
そこから軽食を取りまた寝た。
次に起きたときは20:00を回っており、そして覚めてほしい夢はやはり覚めなかった。
またしても孤独を感じる。
本能的に、父親代わりと思っている存在に連絡を取った。
すぐに電話をかけてもらい、母親との電話のときよりは程度はましになったものの嗚咽混じりに事の顛末を伝えた。
声を裏返して伝える私を電話越しにして彼は落ち着いて対処してくれた。
「泣いてる場合じゃない、明日奥さんに会うならそのための準備をしろ、中野にしかできないことがある。」と整然と諭してくれた。
そう、明日は妻に病状が打ち明けられる日。あと数日の命かもしれないということで短い時間ではあるが病室へ入ることが許可されていたのだ。
しっかり仕上げなくては。
そう思わせてくれたことに感謝し、定期的に連絡することを約束して電話を切った。
そのあとは流れるように小学校からの友達に連絡した。
その前に彼とのエピソードをひとつ。
妻と結婚したとき、友達へ特に連絡を入れずにSNSで全体的に報告を済ませた。
25歳で結婚したため、周りがどのような手順を踏んで結婚報告をしているかといったノウハウがほとんどない状態だったのと、単純な照れ臭さが相俟って親しい友達への連絡も個別にはしていなかった。
それを取り沙汰し、もう一回関係をやり直さないとだめだと熱く言ってくれた大事な友達だ。
そこからは彼と定期的にプロ野球の話なんかをLINEで続けていたこともあり、気軽に連絡することができた。
そのときに彼が書いたブログは永久不滅盤なので無断でここにも載せておく。

前の二人との電話でその日の分の涙は枯れている状態だったので、ある程度フラットに状況を伝えられたと思う。
淡々と話を聞いてくれたので、関係値が元に戻っている状況で良かったとつくづく感じた。
当時彼は無職で、専門学校に通い始めたタイミングだった。
普通の社会人よりは時間がつくりやすいということもあり、とことん甘えさせてもらおうと心に決めた。
電話のあとはすぐに翌日に控えた妻との面会の準備をした。
着替えの荷造りとかではなく、メンタルの準備だ。
仕上げるためにどうすればいいか。
仕上げるってなんだ。
いやつまり仕上げるということか。
堂々巡りの末、少し落ち着いた。
だいたい20-30分の面会時間。
ざっくりブッキングライブのステージ一本分だ。
慣れた時間じゃないかと自分を鼓舞して家でリハーサルを始めた。
大真面目に。
入室から挨拶、寝たきりで固くなった下肢のマッサージ、他愛のない会話。
差し入れの類をどこに入れるか、家から持ってきてほしいものはないか。
もしかしたら明日は本人へがん宣告されずに情報に差がある状態で会うかもしれない。
宣告されていたら、されていなかったら。
思いつく限りをシミュレーションした。
ライブ当日、会場入り前のリハーサル程度には安心感を得られた。
そのあとはぐっすり寝られてまた朝を迎えた。
今まで人に頼ることが苦手だったけど、人に頼らざるを得ない状況に陥りすぐに人を頼ることができたのは大きかったと今でも思う。
頼ったらその分また今度返せばいい。
お互い様だ。
そう思わせてくれた周りの人達には感謝を伝えても伝え切れないので、とにかくこのブログで周りの人に還元していきたい。