新しい箱。

2021年7月中旬

引っ越しプロジェクトはとんでもないスピード感で進行した。

2件気になっていた内の1件は先を越されてしまったので、残りの1件のみ内見できることになった。

最寄り駅は変わらず、駅の逆サイドにその物件はあった。

間取りは2DKから1LDKに。
築年数はマイナス15年ほど。
駅からの距離は若干近いくらい。
スーパーへのアクセスはかなりよくなるし、近くに好きな店もある。

内見は両親と共に、妻も一緒に行けた。
妻の目線でのチェックをしてほしかったので助かった。

脱衣所からお風呂場への段差があり気になったが、そこのステップを用意すれば他は気にならなそうだった。

妻はマメなので、部屋のレイアウトを決められるように両親に協力してもらい、部屋の縮尺を細かくメモしていた。
私はひたすらiPadで写真を撮った。

ちょっとした坂の上にあるため眺望もよく、部屋に居ても少し開放的な気分になれた。

個人的には間取りが重要で、リビングから寝室を確認できる間取りになっているかを確認した。
今後、折を見て自宅療養に切り替える未来が見えていたので仕事中に妻の様子をなるべく確認しやすいことを重視したかった。
当時の部屋ではリビングと寝室が完全に壁で隔てられていたので立って見に行かなくてはならなかったが、この部屋ならお互いに様子が伺える。
ドアを閉めれば会話も全く気にならなかったので、仕事のミーティングと訪問看護師さんのタイミングがぶつかっても各々が会話しやすいことも確認できた。

「ここにしようか。」
「うん、ここがいい。」

即決。

他にないし、急いでるし、駆け引きはいらないし。
すぐ決めた。

そういえば不動産屋の担当者は、東京ヤクルトスワローズの山田哲人選手に少し似ていて好感が持てた。


両親も楽しそうに、妻の手となり足となってくれていた。
義務的であったり、あまりにも必要性が強いものが先行する日々だったが、言ってしまえば無駄で労力のかかるものである近所への引っ越しを通して、活気を得られたように思える。

例え正当化だとしてもいい。
今は素直にそう思える。

人間なんてそんなもんだ。
人間は素晴らしい。
生きてるだけで素晴らしい。


引っ越しに伴い、諸々の手続きを進める。
元のマンションは妻の名義で契約していたものもいろいろあったので、二人で手分けして進めた。
ついでに名義は私に寄せるようにし、一元管理を進めた。

妻はおどけながら「終活だよ〜。」と言っていたが、あれは精一杯の強がりだったのかもしれない。
実際のところはどうだったんだろう。
その時々によってニュアンスは違ったのだろうが、自分が若くしていざそうなった時にあんな感じで言えはしない。

迷惑だなんて一つも思ってなかったが、妻は私に迷惑がかからないようにいつも考えてくれていた。
あの優しさは到底真似できやしない。


妻と両親には先に帰ってもらい、不動産屋で契約を済ませた。

不動産屋からしたら少々不思議な夫婦に見えたかもしれないが、何も聞かれず、かと言ってドライな訳でもなく、ストレスなく契約を進めてもらえたのでとても気楽に臨めた。
コロナ禍ということもあり、初対面の方とのやりとりも減っている状態での契約だったのでこの辺りは印象的だった。


さあ、あとは引っ越すのみ。
その間にも妻は治療があるので入院があった。

平日、妻は洗濯等の家事でリハビリをしつつ自身の荷物を整理していた。
無理はしないことを前提に自分の荷物をできる限りまとめていく。

両親にも手伝ってもらい、妻の分の荷物もまとめていく。

同棲を始めた部屋。
思い入れはあったが新しい部屋へのワクワクが勝っていたので引っ越しによる寂しさはあまり感じなかった。

新しい部屋で、リフレッシュしてまたやっていこう。
夫婦をやっていく。
闘病する、闘病を支える。
仕事をする。
新しいランニングコースを発掘する。
新しい環境を楽しむ。

そうして人生を送っていく。

人生の余白の部分。
今回の引っ越しはそんな位置づけだ。

義務的なものだけでは押し潰されてしまう。
妻のためにというよりは、これに関しては自分のため。

同じ場所に腰を据え続けるのは向いていないようだ。
据えられない人生ならば、自分から先に動いてしまえ。
こうして生まれてから8度目の引っ越しが始まった。

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