
2020年8月4日前半
その日もよく晴れていた。
前日の夕方頃、医師から電話があった。
直接話がしたいので妻の両親と私とで病院に来てほしいと。
入院から数日は夕方頃に向かって洗濯物を交換し、手短に医師と話す日々だったが今回は夕方より前に来てほしいという連絡だった。
少し深刻さを帯びた声色に怖気づきつつも、妻の母へ連絡。
両親共に予定がつくということで安心して当日を迎えた。
15:00に病院へ着くように自転車で向かった。
力配分を少し覚えたとはいえ、汗はしっかりかいていた。
家から持ってきた炭酸水はぬるくなっていたが、一思いに飲み干して待合スペースへ。
両親は時間に余裕を持ってきており、涼しくそして不安げな顔をしていた。
ほどなくして医師が迎えに来てくれた。
チームメンバーだという人達も一緒に来た。
COVID-19対策ということで、会議スペースの扉を少し開けて着席した。
入院時から今日までの病状を共有してくれるのだという。
まずは先日私が見た真っ白の肺が写った画像が展開される。
詳しいことは覚えていないが、COVID-19でもなく結核でもないという旨の説明だった。
両親はこのタイミングで初めて医師と話したので、この数日間のまとめのような解説をしてくれた。
夏の暑さと事態の異常さで私もあまりまともではなかったことにここで少し気付かされた。
そして医師から宣告されたのは肺を白く埋め尽くしているのはがん細胞だということだ。
冒頭で悪性腫瘍というワードは出てきていたがピンと来ずイメージが湧かなかった。
それは紛れもないがんだった。
がんという診断を聞き、3人でその事実を噛み締めた。
長い沈黙、鼻を啜る音。ドアを半開きにしていたとはいえ静かな部屋に誰のものかも分からず混ざってしくしくひびいた。
説明をする医師の目にも涙が浮かんでいた。
落ち着きを取り戻し、説明が再開される。
まとめると以下のような状況だという。
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肺・リンパ節・恥骨にがんが転移している
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肺の病変がひどい状況だが、がんの大元は肺ではない
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大元が分からないため、現状の診断としてはステージⅣの原発不明がん
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肺のがん細胞の進行具合が著しく早い
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このまま何もしなければ余命一週間
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一刻も早く抗がん剤治療を開始したい
思った何倍も事態は深刻だった。
その後、抗がん剤治療を開始するにあたり説明を受けた。
状態が状態なだけに場合によっては死期を早めてしまうリスクもあるという。
しかし、それを投与するしか手はないので両親と目で確認し、すぐ書類へサインをした。
部屋を出る際に、本人への説明については表現を柔らかくするものの明日には同様の説明を行うということを伝えられた。
医師に礼をし、病院を後にした。
車で来ていた両親に、「このあとすぐ一人になるのは辛いと思うから送っていくよ。また明日病院来るし、自転車はそのまま置いて車乗っていきな。」と声をかけてもらったが、じっとしていられず、自転車に乗っていた方が楽だと思い丁重に断り一人で帰ることにした。

家はあっちの方だとか、この間行ったのはあっちの方だとか他愛のない話をしていた
その日はいつもと違う道で帰った。
というよりは何も考えられずただペダルを漕いでいただけだった。
交通量が多いからといつもは避けて通る玉川通りをふらふらと進んでいった。
途中、糸が切れたかのように涙と嗚咽が込み上げてきた。
病院の静寂より街の喧騒の方が素に返りやすかったのかもしれない。
「このまま右に逸れてトラックに轢かれて死んでしまおうか。」
そこまで長くはない帰路に何千回と思った。
が、そうする勇気もなかった。
気がつくと家の近くのコンビニに近づいていた。
あてもなく店内に入り、導かれるように煙草を買った。
二年近く絶っていた煙草をするりと買った。
値上がりしたハイライトメンソールをお守りのようにポケットへしまい家へ帰った。
家に着くなり換気扇の下、呆然とした中で煙草を立て続けに吸った。
訳のわからない言葉をたくさん呟いたり叫んだりした。
疲れたのか、そのまま1~2時間ほどリビングの固い床で眠った。