
2021年9月8日(水)
余命宣告を受け、妻は友人への連絡以外にもやりたいことを叶えるために動いていた。
がん闘病が始まってから行けていなかった、ギター教室のレッスンを最後に受けたいという強い希望があった。
妻は大学生時代から、渋谷にある個人経営のクラシックギター教室に通っている。
それからずっとそのクラシックギター教室の先生に師事していた。
クラシックギター教室の発表会や、教室内で組んだアンサンブルでのコンサートは私も何度も足を運んできた。
「先生のレッスン、また受けたいなあ。」
「来てもらおう!」
その先生は出張レッスンも対応してくれるとのことで、家に来てレッスンをしてもらえることになった。
妻は先生に丁寧なメールを書いた。
推敲を重ねた上、私に添削を頼むほどの丁寧っぷりだ。
自分の師匠に対して、最後のギターレッスンの申込みをするのは形容しがたい複雑さがあっただろう。
いつになく真面目な顔をしていた。
師匠から快諾した旨のメールが届くと、ギター練習しなきゃ!と高揚と焦燥の入り混じった空気を発していた。
そんな前段の調整があり、この日に先生がレッスンに来てくれることになった。
約15年来の師匠が家にギターを教えに来てくれるという大イベント。
この日のために、鈍ってしまった腕を復活させようと少しずつ練習をしていた。
重いケースからギターを取り出し、ベッドの上で弾く。
体力がなくても姿勢を保って、集中して弾いていた姿が目の奥に残っている。
予定通り14:00頃に先生が来てくれた。
妻と同じく門下生でありギター仲間であるSさんも、仕事の休みを合わせて付き添いで来てくれた。
私も仕事を調整して妻の最後のレッスンをカメラに収めることに徹した。
妻の母が手伝いに来てくれていたので、撮るのに専念できた。
妻がレッスンに選んだ曲はフランシスコ・タレガの「Lagrima(ラグリマ)」だった。
スペイン語で涙を意味するこの曲を、リビングでひとり演奏し始めた。
その優しい旋律に妻の母は泣いていた。
先生は時折頷きながら、妻の演奏を聴いていた。
あくまでフラットに、プロとして、師匠として、今日のレッスンをする。という意思が感じられた。
あなたは本当にギターが好きだね。という感想を述べたあと、その演奏の良かったポイントと更に良くするためのアドバイスを続けた。
またレッスンしよう。最後だなんて言わずさ。いつでもやろうよ。今度アンサンブルのレコーディングもあるから腕磨いといてよ。頼りにしてるよ。みんな待ってるから。
先生なりの激励を言葉を送ってくれた。たくさんの門下生を抱えているその真髄のようなものが見えた瞬間でもあった。妻がこの先生のレッスンをほとんど休むことなく受け続けていたのも納得がいく。
涙で情に訴えることなく、飄々と振る舞うその先生はとても頼もしかったし、その時において何よりベストな解だった。
妻はレッスンを通してこのコミュニケーションが取りたかったんじゃないかと思った。
そうして小一時間のレッスンは終わった。
帰り際、次回はみんなで来るから。人数多いから覚悟しておいてね。若旦那(私のこと)もよろしくね。と言ってくれた。
そう、今回同行してくれたSさんのはからいで、ギター教室の仲間を引き連れて来てくれる日程がこの時点でもう決まっていた。
今回は次があるお別れだ。
またね。また来るからね。
ギターたまに触りなよ!
良いギターだからね。
玄関のドアが閉じるまで先生らしい節を飛ばしてくれた。
レッスンが終わると妻は満足したようで、丁寧にギターを仕舞ってから長めの昼寝に入った。
ひとつ重要なミッションがクリアされた瞬間だった。
私も残りの業務を片付けるべく仕事に戻った。