危険があるから引っ越そう。

2021年7月前半

楽しい長期休暇も始まったからには終わる。
何事も始まったら終わる。


平日はなかなかできない昼間の散歩へ一緒に出掛けるだけでもかけがえのない時間だったが、電車で食事に出掛けたり旅館で一泊したりと大満足の日々だった。
上司のこの粋な采配には今でも感謝してもしきれない。

また日常へ戻る。

戻った日常は元通りの日常、というわけではなかった。

長期休暇後、ほどなくして上司からリーダーを務めてくれないかという打診があった。
幾度の恩を感じてたので是非やらせてほしいと即答した。
妻の闘病を支えることを第一に据えることは今後も変えずに過ごしたいと伝えた上で、リーダーという役職を務めることを引き受けた。

人生で初めての昇進。
なんだかんだで嬉しかった。

妻は自分のことのように喜んでくれた。
おそらく心配だっただろうが、後ろ向きな反応は一切私に向けず、ただそれを喜んでくれた。

結婚当初、正直あまり実感が湧いていなかった家庭への責任。
それは約一年間妻の闘病を支える中で完全に自分事になっていた。
その背景があったので、会社でも責任を負う立場を担うことになるのはあまり嫌悪感は抱かなかった。

若手の昇進に対するスピード感の無さが前職を辞めた理由のひとつだったので、そのチャンスがあればさっさと上がってしまいたい。そう思っていた。


そんな約束を交わした闘病生活二回目の夏。

上がる給料を妻との残された時間にどう充てるか。
次はそれを考えることにした。
貯める頭はなかった。

答えはすぐに出た。
引っ越しだ。

引っ越しをしよう。


2018年9月に同棲生活を始めてから3年弱住んできたこの部屋。

お互い気に入っていたし、不満は特になかった。

しかし私は小さい頃から引っ越しの多い家庭で育ったこともあり、少し飽きていた。

一人で検討を進めないうちに、妻へ良いところへ引っ越そうと切り出した。
二人のことを勝手に一人で進めると揉めるから、この辺は弁えてなるべく早めに話した。

妻は乗り気だった。
妻はどちらかというと引っ越しの少ない人生を送ってきていたが、結婚前後で「いろんなところに住みたい。」と話していたのを覚えていた。

とはいえ、引越し先の検討範囲はあまり広くない。

  • 病院から遠ざからないこと。

  • 現在利用している訪問看護ステーションのサービス提供エリアであること。

  • 両親に来てもらいやすいこと。

マスト条件はこのあたり。
あとは趣味で選べる。

違う環境で過ごしたいというよりは、少しでも気分転換がしたいと思っていた。
その思いは近所の旅館へ行った際に強くなっていた。

私はまだ、毎週末のランニングや妻の長期入院の合間に友達と会ったり気分転換の機会に恵まれていた。
しかし妻は完全に病院と自宅マンションの往復だけだ。
私より日々が明らかに固定された生活を送っていた。
ならば部屋を移ればいい。
少しでも気力があるうちに。
善は急げ。いや、急がないと引っ越しは叶わないかもしれない。
そんな直感も正直あった。


仕事後に物件サイトを回遊する日々が始まった。
前述の通り移れるエリアが限られていたので、検索条件を固定して新着物件をひたすら張っていた。

移りたいと思える物件はすぐに見つかった。
2件あった。
ありがたいことに掲載している不動産屋は家から5分もかからない場所にあった。

妻の両親へも早速相談し、週末に内見へ行く段取りが付いた。
今振り返ると全員の意思決定の速さとフットワークの軽さに驚く。

やらなくてはいけないことはたくさんあるが、やりたいこととして引っ越しプロジェクトが優先度最強状態で発生した。
いや、発生させた。

妻も子宮体がんステージⅣ患者とは思えないほどのやる気を見せてくれていた。
この意味があるか分からない計画を一緒に楽しんでくれていて、なんだかすごく嬉しかった。

そして意味なんていらなかった。


当時二人で聴いていたAnalogfishの”抱きしめて”という曲のAメロをよく口ずさんでいた。

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危険があるから引っ越そう。
事件が起きるから引っ越そう。

そんな物騒な歌詞とピースフルな曲調のギャップに魅せられて、何度も聴いていた。
2019年には妻と一緒に新宿のライブハウスでこの曲を聴いた。
そんな思い出のある曲だ。


引っ越しそのものだけでなく、前後のイベントもその効果を発揮したように思える。

やはりマストだけではつまらない。
生活は成り立つが、生活が成り立つだけだ。


こうして真夏の引っ越しプロジェクトが始まった。
現実逃避だったとしてもいい。
なぜならそれはとても楽しいものだったから。

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