
2021年大晦日。
今回は妻の闘病記から逸れて自分の話をする。
今年はいろいろなことが多過ぎて、年内にそれぞれを振り返ることは早々に諦めた。
しかしながら、先日親友と電話をしているときに自分の口から出た謂わば独白のようなものについては書き残しておこうと思う。
背景
今年はとにかく一人で解決や打開できることが少なかった。
私が弱っているからというよりは、どちらかというと事象があまりにも大き過ぎたからだと思う。
そのため親友とは定期的に電話をしていた。
妻ががん宣告されたその日からの延長線上のことだ。
それをきっかけに彼とは何でも話せる仲、いやそれさえも超えた仲に進んでいた。
最高の壁打ち相手を見つけた我々は、日々の気付きをお互いに打ち明けるようになっていた。
電話の導入
その日もいつものように電話をしていた。
新年が目と鼻の先まで来ていることもあり、話題は自然と今年の出来事・来年の抱負になっていた。
お互いが一定の水準で来年の自分の動き方ややりたいことを整理できている状態だったので、その上での話になった。
私はこんな話をした。
妻を亡くした私は、当時の妻の努力や周りの支え、それを享受するために自分の状態をキープできたことがあって今しっかり立てている。
正直前を向こうとしなくたって前を向ける状態にはなっている。
その上で、敢えてすぐに前を向かずに現在地を書き記したい。
それが今自分の立つステージだと考えている。
noteで妻の闘病記を最後まで書き切る。
まずはそれが最低目標。
それなしでただ前を向くことは自分の考えに反する。
彼の話については人生のネタバレになるのでここでは割愛する。
だいたいいつもは1~2時間ほどで終わる電話だが、この日は私のスイッチが完全に入ってしまっていたため、まだ続いた。
自分のこと
スイッチが入った私は珍しく自分の内面の話をしていた。
酒も入っていたので正確ではないかもしれないが、その時話した内容をここに残しておく。
これを書くことがこの記事の目的。
ー
私は昔から「中野は~だよね。」とか「中野だったら~するよね。」だったり「中野はそう言ってくれると思った」といった言葉を人一倍言われてきた。
それらの言葉を受けた時、私はどちらかというと気持ちがよかった。
自分のことを分かってくれている。
ちょっと悩むけど、多分そうだろうな。
周りの友達がそういうならそうなのだろう。
自分以外の人が自分の回答を代弁してくれる。
それは気持ちのいいことだった。
その甘い汁に味を占めた私は、次第に自分のキャラクターをそこにはめ込んでいった。
そうするとその現象はエスカレートしていく。
そう、これを繰り返すことで他者が見る自分と自分が思う自分のシンクロ率が高くなっていったのだ。
十数年これを繰り返してきた。
無意識のうちに。
自他ともに悪意を持たず、むしろ善意を持って。
そうした末に何が出来上がったか。
外的にも内的にも型に嵌められた「中野」が出来上がった。
その型はどういったものだったのか。
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ポジティブ
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平和主義
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過去未来よりも今を大事にする
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誘われたら何処へでも行く
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聞き上手
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自分の話を捲し立てるよりは場を切り盛りする方が好き
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めちゃくちゃ酒飲む
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真面目
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どこかで線引きをして間違ったことはしないタイプ
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たまに嵌めを外すがセーフティネットを敷いた上でする
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etc…
ポジティブという一つをとってもそれだけで一冊の本を書けてしまうのではないかと思うのでここでは箇条書きで済ませる。
まあよくいるタイプの人だ。
飲み会に一人いると楽なタイプ。
害がないから特に嫌われることもない。
実際私はこの役周りを好んで買っていた。
そうして私は「中野」になった。
しかしこれは本当の私ではなかった。
独白する中でそれに気付いてしまった。
まあ苦しかった。
けどここで気付けてよかった。
これに尽きる。
(これはポジティブが出てるね。)
—
では私は上述したような人間ではないのか。
というとそういうわけではない。
なぜならそういった人間をやってきたからだ。
無自覚に演じてきたからだ。
そうしてそれは間違いなく私の一部として形成されている。
それが悪いことなのか。
いやそれも悪いことではない。
実際のところ何も悪くない。
ではなぜ苦しいと思ったのか。
それは自分が思っていた自分と本当の自分のギャップを自分自身で気付いてしまったからだ。
あの時気付くことができていたら。
これをモラトリアム期に気付くことができていたら。
そういった思いが渦を巻く。
他者ありきの自分をやってきた。
しかし私は実際のところ主体性を持ったところに生きがいややりがいを感じるタイプの人間だった。
もともとそうではなかったのかもしれないが。
本当の私をやっていくためには、今までの「中野」のスキルセットだけだと為し得ることができない。
その事実がただ苦しかった。
だがそれは苦しいだけで道が閉ざされたわけではなかった。
そこに向かって進んでいけばいいだけだからだ。
嵌っていた型を破っていけばいいだけだからだ。
型を破ることはおそらくそこまで難しくない。
既にその型通りに「中野」が形成されているからだ。
型はもう必要ないのだ。
「中野」+ or – これからの自分 = なりたい姿 という簡単な数式に落とし込むことができる。
その作業をただ愚直にやっていく。
これはもしかしてとても楽しいことなのではないだろうか。
真髄だったりするんじゃなかろうか。
自分の努力が新しい自分の発見に繋がっていく。
道中で自分を見失ったら、形骸化した「中野」の型でチューニングすればいい。
だから他者へ「中野っぽいとかいうな」とかそういったしょうもない言いがかりをつけようとは毛頭思わない。
自分が分かって、自分をやっていけば「中野っぽさ」も変わっていくのかなと思うとむしろ楽しみだ。
それに気付けた日だった。
2021年12月24日。クリスマスイブになった瞬間の長電話。
男二人で何を話しているんだってのはさておいて。
別にオチも何もないのだけど、年の瀬にしたこの独白を胸に2022年を走っていこうと思う。
今まで通り二足の草鞋を履きこなして、新しい私に会いにいく。
そこのバランス感覚はまだ健在だ。
大丈夫、私はまだ成長できる。
そこに心配はいらない。
本年は大変お世話になりました。
こんなにも周りに支えられた年はなかった。
だからこそ気付けたんだと思う。
本当にありがとうございました。
来年も書いていくのでまたよろしくお願いします。